愛と子宮の秘密部屋へようこそ♡
子宮頸がんを経験したSayakaがトリニティを生きて観たリアルを綴るお部屋です

♡愛と子宮と病と♡

タイトル一覧
ここにまとめました
(2017年〜の連載記事です)

【愛と子宮と病と♡】

1♡病の告白


2♡目が醒めて

3♡心配より信頼して

4♡盗聴疑惑

5♡爆発予告

6♡ゼロになった私


7♡隠された負の感情


8♡私は、私が、大嫌い


9♡逃れられない痛み

10♡闇からの救済




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SI SALON  Rolf's Body Method
ロルフメソッド専門ボディサロン

Owner Therapist
髙橋 清香





子宮けい癌が発覚してから
ここまで色々なことがあって


心もカラダも、何もかもが崩壊したし
私のすべてがブチ壊された2年だった。



こんな体験はもう、二度としたくない


経験できて良かったなんて


思ってない


できることなら


こんな経験は、したくなかった






それが、今時点で感じている私のリアルな心






そして

こんな自分の経験を
こうして物語化することは


本当は早く終わりにしたいと思いつつも
半年間も続きを書けずにいたのは


まだ完結されていなかった部分
があったから



今回、半年ぶりに

このシリーズの続きを書こう
という気持ちになれたのは


間違いなく
5月2日の‘あること’がきっかけ












暗闇の中を生きていたとき


もうこの現実は


自分の手には負えなくて


自分でどうにか出来ることなんて


残ってなかった


だから手放すしかなかった



私をまるごと


天に委ねるしかなかった



本当にそこまで追い込まれた
現実だったからね



自分でそうした というよりは

そうせざるを得なかっただけ
なんだけど。












じゃぁその結果どうなったのか



あのとき、
あんなに苦しかったこと
カラダが痛かったこと
心が壊れたこと
多くを失ったこと
をみて


委ねたところで

何にも救われてないよね
と捉えることもできるし




それでも今生きてること
治療を無事に終えられたこと
転移・再発の兆候がないこと

をみて、救われたね
って捉えることもできる



でも、


これからどうなるかは分からないから


いつか転移が見つかって・・・
それが原因で死んじゃうかもしれない

そういうリスクは、他の人よりは高い
と言えるだろうし


そうなったら、やっぱり
救われてなかったね とも捉えられる




いや
どのみち人間、いつか死ぬことは
完全に定められているのだから


そこをみて
やっぱり救われてないよね
とも捉えられて、、、



いろいろ結論づけることはできるけど
















私は


自力を手放したことで

委ねるしかなかったことで




少なくとも


暗闇にいたその2年間が

ただの闇では終わらなかった

という奇跡をみた。





自分だけが不幸で

孤独を感じていた

そのときも



“私はひとりじゃなかった”



それを、


無条件に信じさせてくれる
という奇跡だった












それは
開腹手術によって
縦につけられた傷痕に

一本のテープ痕が重なり


十字架となって

カラダに残されていたこと



でも



私が奇跡と感じたのはその先で




あんなに忘れたい
なかったことにしたい
はずの過去なのに



この傷を見ると、


なぜか心が ふわっと温かくなって



愛と、嬉しささえ感じてしまう



なんでだろう、、、







あのときから、ここにいたの…?



一番苦しかったとき


キリストはここに来て


一緒にいてくれてたの…?



と、なぜか


ただそう信じられてしまうこと。




私はクリスチャンでもなければ


キリストに思い入れがあるわけでもないのに


なんでなのかな…






私はこれを


一番の奇跡として


救済に値すると 信じてる





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(八ヶ岳にて)






フルトリニティ レベル4(Tuoch of God)
に触れたとき その答えは観えてきた



これまで体験してきたことの

すべての点と点が、みるみる

結びついてゆく





私はいつも ここにいる

闇の中で出会い 交わっている

あの時から ずっとここにいる




キリストの愛の囁きが伝わって来たとき


私の中ではそれが
お腹の傷の十字マークと


完全にひとつのものになった。












しるしを残してくれて









ありがとう
















痛みもすべてを包み込む


愛を溢れさせてくれて









フルトリニティ レベル4
 ~Touch of God~



 キリストは言う

 たとえあなたが

 どんな闇にいようと

 どんな罪にあろうと

 どんな孤独になろうと

 私はそこにいく

 そばにいて、

 そっとあなたを抱き寄せよう

 私と交わりなさい

 私の血と肉とひとつになりなさい
 
 あなたの体は精霊に満ち

 天の父の家へと招かれる

 私とともに 天の父の栄光に

 あずかるよう 委ねなさい
















時々ね
過去を振り返って、なぜだか
無性にイライラすることもある




でもね、それでもやっぱり


私の手は無意識に、いつも
子宮の上の傷跡に触れながら


ここに


無条件の愛に


還ってくることができる




無条件の愛は いつも
あなたと在る と
教えてもらったから








どんな闇も、孤独も


 苦しみも、絶望も




すべては愛を学ぶ延長線上で起きている






わたしは苦しみから『愛』を見つけて



それまで『愛』だと思っていたものは



実は意思ある神と呼べる存在だった



ということを知った。




『神』は『無条件の愛』そのものだった。




そして、『神』とは



私も愛していい存在なんだ



『神』も それをずっと待っていたんだ



ということも知った。




こんな苦しい体験をせずに



信じられる人はきっと幸せ。




でも、苦しみや闇の中で



もし『愛』という『救い』を求め



そこで出会えたなら



きっとどんな人生に起きる出来事も




すべては神と共にある物語である




ということを




思い出すのかもしれません。



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おわり





最後までお読みいただき
ありがとうございました^^




あなたとも
無条件の愛で 繋がれますように













SI SALON  Rolf's Body Method
ロルフメソッド専門ボディサロン

Owner Therapist
髙橋 清香







抗がん剤の治療は月に1回
1週間ずつ入院し



約半年間かけて、
術前6回の治療が終わる頃



私の腫瘍は、奇跡的にも
半分以下に縮小していた。


これなら温存の手術ができるね。


先生からそう言われ、

あの苦しみは報われた…
と、ホッとしていたとき



同じタイミングで


歳も近く、いつも同室で
仲良く励まし合っていた友達が


皮肉にも、、


これまでの抗がん剤の
効果がなかったことが分かり


もう手術もできない状態で

いずれ緩和病棟へ転院…
と告げられていたところだった。






なんて残酷なんだろう…


なんで、こんなにも
何にも出来ないんだろう…


私たち人間は「死」というものに
対して なんて無力なんだろう…


あのとき、そう感じたのを覚えてる








大学病院の婦人科病棟は、

子宮に癌を患った人で溢れ
ベッドは絶えず、満床状態



多くの人が
「子宮」と「死」に向き合わされ


絶望感や苦しみと闘う
リアルな現場だった。





ひとつ階が変われば


同じ婦人科でも
そこは明るい産科病棟


赤ちゃんの泣き声と共に祝福の
エネルギーで満ち溢れているのに…




『生と死』 『光と闇』



それがすぐそばで併存している様が
そのときは、なんだか異様に感じていた。














前日の絶食を経て、迎えた


2017年3月15日の手術当日。




手術台は予想以上に柔らかく


手術室では、ちょうど私の好きな
エグザイルの曲が流れていた


音楽のチカラはすごいなって
あのとき、改めて思ってね。





横向きで、麻酔は背中から入れられて


数を数えながら、酸素マスク(?)
で何度か深呼吸をすると


眠りに落ちていた





そして目が覚めると、、、

元の病室のベッドに戻っていた


ことを、


自覚すると同時に




ジワジワと

子宮、膣、の痛みを感じ始め・・・



--------い!!!!!!!





子宮頸部あたりの、

尋常じゃない痛みに覚醒し


私はひたすら泣き叫けんだ!



痛い 痛い 痛い!!






それはとにかく、
経験したことのない痛み


そして、少しずつ
自分の状況に気付き始めた



両腕には点滴の針

両足はポンプで固定され
口と鼻には酸素マスク

お腹には(その時は分からなかったけど)
ドレーンの管が突き刺ささり

背中にも麻酔の管が突き刺さり

尿道にも管が刺さっていて

膣にも何か刺さってる・・・


身動きが取れない状態で



ただひたすら、



激しい痛みと格闘するだけの時間…


これは地獄か。。。







あまりに激しく痛がる私の横で


『こんなに痛がってるけど・・・
麻酔増やせないんですか・・・』


と動揺しながら看護士さんに
質問する母の声がした。


こんな私を見て、、、母も相当、
きつかっただろうと思う。。


こんな姿を見せてしまったことに
私には後悔と罪悪感が生まれていた。



(これが出産による痛みなら

見てる方も、まったく気分が

違うんだろうけど。。)





麻酔でも何でもいいからこの痛み
どうにかして、、、、、、、、、、、泣


心の中で、そう懇願する思いとは裏腹に


看護士さんからの冷静な回答は
とても残念なものだった。


『血圧が安定するまでは
増やせないんですよ』





私はもう、ただ泣き喚きながら
耐え続けるしかなかった。














それから、


どれくらいの時間が経っていた
のかは分からないけれど


いつの間にか私は眠っていて


目が覚めると


さっきまでの激しい痛みからは
解放されていて


ただ放心状態で
天井をぼんやり眺めていた。















私は、私が、大嫌い



そんなことを思って、
考えていられるうちは



まだ元気な証拠だった




カラダが極限の状態にあるときは



そんなこと、考える余裕も
感じる余裕も、一切ないのだから




ただ、ひたすら今を

その瞬間を生きることしかできない




カタダは、本当に、そういうものだった。



だから、この時なにを考えて
何を感じていたのか


思い出そうとしても
あまり思い出すことが出来ないのだ。













それから術後3ヶ月、
3回の抗がん剤治療を経て



2017年6月
すべての治療は無事に終了となり


その後は、定期的な検査をしてゆく
ことになった。










ガンが発覚してからここまで

私の選択は、ほとんどが
イレギュラーなものだったと思う



こんなワガママな生き方を
許して支えてくれた人たち…


本当に、心から感謝してます。









そして、最後に訪れた奇跡。



それは、これまでの過酷な過去をも



まるごと、変えてしまうものでした







つづく


10♡闇からの救済






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入院中は、子宮委員長はるちゃんが
札幌に来てくれたので、這いつくばって
(笑)
会いにいってきたよ♡







がんの告知を受けてから
1年と少しが経過した頃


相変わらずわたしは
病院での治療を拒んでいた


でも、貧血が深刻になりつつある
ことと、親からの説得もあり


病院で検査だけは受けることにした。


PET検査の結果は
「腫瘍は3ミリ拡大」


少しは小さくなっているかと期待して
いた結果とは、逆のものだったことで


諦めの感情が生まれた



でも、先生からの提案は予想も
していなかった意外なものだった



今までどの病院に行っても
子宮は全摘出以外あり得ない
と言われ続けてきたのに


まだ症例は少ないけど
子宮を温存する手術が出来る教授を
知っているから、と紹介してくれたのだ。






後日、高速バスで5時間半かけて
その教授のところへ行くと
私は診察室で大号泣した。


今までだったら
こんな私の選択を最初に大否定
されるところから始まっていたから


また色々言われるのだろうと・・・
心を強く保ちながら、これまでの
経緯を話してみたら



先生は、私の一切を否定せず
むしろ共感までしてくれているかのように


私のすべてを、真剣に受け止めてくれた。





そんな先生は、はじめてだった。







この先生の言うことだったら
受け入れられる


自分の身を委ねられる


やっと、はじめてそう思えたことで



安堵の涙が溢れて止まらなかったのだ。






私は、誰かに、私の選択もすべてを
まるごと受け入れてもらいたかった

そして、助けてほしかったんだ


ずっとそれを望んでいたことに気がついたし
望んでたのは、ただそれだけだったんだ
と気づいた。






「このままいくと

あなたは死んじゃうんだ

そんな先の話じゃないんだよ」



「 ・ ・ ・ 」



「でも子宮とるのは嫌なんだろ?」



(コクリ)



「残せる手術だったら受けるのか?」



(・・・ コクリ)



「わかった


今の(腫瘍の)大きさだと
適用外なんだけどな。


でも今また何もしなかったら
あたな死んじゃうから


まずこの方法でやってみよう」












そう言われて
私が受けることになった手術は
トラケレクトミー(広汎性子宮頸部摘出術)
というものだった。


でも、本来この手術を受けるには
腫瘍は2センチ以下で
扁平上皮がんであること
などの条件があって


実は私、このどれにも
当てはまってはいなかった。


腫瘍は3.7センチあったし・・・
扁平上皮がんではなく、さらに
悪性度の高い、腺がん。


どの病院に行っても、提案されないわけだ。




だから当然の如く、この手術には
厳しい条件が付けられた。


術前の抗がん剤治療で
腫瘍が適用範囲まで縮小したら


この温存の手術をやる。
縮小しなかったら全摘出。



もう他に選択肢はなかった



でも、抗がん剤治療ではその副作用に
苦しむだけ苦しんで、まったく効果が
なかったというケースが多々あることも



実際に入院をして同病の人たち
を見て、、知ることになった



これは本当に、ただ進むことしか道がない
賭けだったのだ。













そしてはじまった抗がん剤治療




もう、思い出したくもないし
書き記したくもない



忘れてしまいたい


なかったことにしたい



そんな、人生でもっとも
受け入れたくない現実がはじまった

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(↑1回目の抗がん剤)




これが、前回の更新から半年間も

続きを書けずにいた本当の理由で


まだ向き合うことができなかった
最大の私の闇の部分なのだ。


















抗がん剤の副作用とは
みんなが想像する通りのもの


でも、副作用を抑える薬によって
昔よりはかなり楽になっているようで


昔のドラマで見ていたような
激しいイメージとはまた少し違っていた




それでも、それはラクなものではなかった。


回を重ねるごとに吐き気は増し
過呼吸になって息が苦しくなって


全身に力が入らず、トイレに行くだけでも
息があがり 歩くことがままならない


でも、寝ているだけでも ただ苦しくて
じっとしていられず


呼吸は常に早かった



味覚障害にもなると、
口の中がずっと気持ち悪くって


水を飲んでも、ご飯も食べても
さらに気持ち悪くなるだけ


病食は、運ばれてくるワゴンの
音さえ吐き気を誘い
食事はほとんど摂れずにいた


点滴を入れてもらうにしても
もうカラダが衰弱しきっていて


血管が細く見えなくて

針を入れるにも、毎回1時間がかり
という状態だった


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あまりにも食べることができなくなっていた
私に、同じ病室のみんなから
いつも差し入れをもらって励まされていた





そして何よりショックだったのは


夜になると呼吸が苦しくなることが
もう本当に辛かったのだけど


それに対して出された薬が
統合失調症や双極性障害など
心の病気の治療に用いるもので


それを飲むと、確かに症状が和らいで
眠る前には手放せなくなっていたこと






私、精神病にまでなってしまったの?






そう思うと、心までもが
ますます闇へと引きずられていった。




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病気が発覚する少し前に、お土産として
友達からもらった 出雲大社の御守り












でもね、精神的に一番辛かったことは



髪の毛がなくなっていくこと


まつ毛も、眉毛もなくなっていくこと



ご飯もまともに食べられなくなって
カラダは痩せていくのかと思ったら


抗がん剤や点滴で、大量の水分を
注入されてるから


顔やカラダは、浮腫む一方






鏡を見ても


そこに映るのは私じゃない


これは誰なの?




現実を、どうしても受け入れきれず


もう鏡は出来るだけ見ないように
するしかなかった。



もう、これまでの私の顔じゃ
なくなっていたから。









こんな私に、価値なんてない


髪の毛もなくて、まつ毛もなくて
むくんだ顔で


全然、可愛くないし


女としての魅力なんて
もうどこにもカケラもない



唯一の


カラダの交わりの場所さえも


癌に侵されて


治るかどうかの保障もない


抗がん剤のダメージで
生理もストップして



もう



価値のないカラダ


価値のないわたし



誰からも



愛される価値のないわたし





いつしか、心の底で


自分を完全否定するようになっていた。




幸せな未来なんて見えなかった。






あのとき



私は、私が、大嫌いだった。








「何者でもないわたし」


にも、本当はすべての価値がある
と気付いたあのとき





でも、あのときは


まだ、もっていたものが

たくさんあったんだと分かった






今は、そこから更に


わたしの一部が失われていく。






カラダは生きようと頑張って
戦ってくれているのに




私は私の心を自分で傷つけ




私を何度も殺そうとしていた










づづく

9♡逃れられない痛み




こんにちは✿
さやかです。


このカテゴリーでは
   
私の病気が発覚してからの

約1年半の出来事や学びを

開示して行こうと思っています。
   

ところどころ、
覚えていないこともいっぱいあって、
話が飛び飛びになるかもしれません。

でもきっと、書いているうちに
必要なことは自動的に
思い出されるはず



ご興味のある方のみ、どうぞ♡












【1♡愛と子宮と病と】





昨年6月より、
東京の銀座~表参道で


丸8年続けたサロンを引き払い
地元に帰ってきました。


その理由は、、


身近な友人以外には、
療養のためと言って、
病名は打ち明けては
こなかったけど、、、


もう今から2年近く前になります。


ちょっとした不正出血が続いて
新宿のレディースクリニック
に行きました。
   

すると、すぐに大きな病院へ
行くよう、紹介状をもらい…


数日後、新大久保にある病院で
MRI検査とCT検査を受けました。


そして数日後、
また病院へ行ったのですが


・・・


まず、

その日に行われた
細胞診の検査が


もう衝撃的に痛くて(@_@;)


立ちあがって3歩あるくと
貧血で倒れてしまうほどでした。


結果を聞く前から、
心と体に大ダメージを
受けたのです。

   

そして、



痛みの衝撃から
立ち直れず、

放心状態の私に
追い打ちをかけたのは



そこで告知された病名でした。

   

担当の女医さんは
同い年くらい。



『ちょっとねぇ、、、

結果が良くないんだぁ。。。

まだ細胞診の結果は出てないけど




ほぼ間違いなく




子宮頚がん だね



ステージはII(2)だね』



(・0・;)!!!

   


『今すぐ手術をしないとね…

 子宮を全摘して…リンパもとってね

  術後は抗がん剤をして…

   放射線治療もすることになるね…』





どんどん意識が遠のいてゆく・・・

   




ガン。

抗ガン剤。

こう聞くだけでも
なんだか、ゾッとしませんか??
   

私は今、
このフレーズを思い出すだけで


世界が暗く重たくなって
ゆくのを感じる。

本当に、
この病気の闇は深いんだと思った。




そしてこれは、
忘れてしまいたい過去として
私の中に存在していること、
   

こうして思い出すだけで、
またあの暗闇へ引きずり込まれそうな
恐れを、まだもっていることが


いま、よくわかる。



だからこそ、私の中の
タブーを解放してあげるため
ここに公開することにしました。







その日は確か、
夕方から仕事も入っていたから


次回の細胞診の結果を聞く
日時の予約だけして

電車に乗りました。



もう、頭も心も大混乱で
涙は全然止まらず…


周りに居る人たちみんなが
幸せそうにみえて


私だけ、
取り残されてしまった
ような感覚だった。


自分の状況によって
外界の見え方がこんなにも
変わってしまうんだなって


泣きながら体感したのでした。


  
サロンに着いて、
ドアを閉めた瞬間に
 


これまで抑え気味にしてきた涙が
うわーーーって大量に溢れて
大泣きになった。



未来は真っ暗だったし


自分の死と、

はじめて本気で向き合わされて


子供の頃の記憶とか

色んなものが走馬灯のように
駆け巡った。





しばらくの間   


絶望的に泣いて、



泣いて、



泣いて、



これまで頑張ってきたことの

すべてが

崩れ落ちてゆく感覚に陥っていた。



仕事のこと

恋愛のこと

お金のこと


もう、なにもかもが


どうでもよく思えた。





死を前にして


そんなことはどうでもいい


と感じたのです。




そして、

絶望に打ちひしがれながら



ただ、ひたすら



泣き続けました。



・・・





そしたらね、



明らかに、


今泣いてる私とは違う


感覚が湧いてきて…
   





つづく♡



今泣いてる私とは


違う感覚。






わたし、


喜んでる。。。。





『ドラマのヒロインみたいで

楽しいじゃん!!』


 って…




泣きながらの大混乱。




でも

本当は瞬間的に

目が醒めてしまっていた。



これ、


私が(魂が)

やりたくてやってる。



絶望的に泣いてる私と

喜んでる私が混在していて



茶番…



これは茶番だ

って…自分に呆れて


この世のすべてに
呆れてしまったんです。
   

生まれてから今まで感じてきた

悲しみ、怒り、恐怖、そして喜びも

もうすべてが茶番にしか思えなくて…



なにもかも
自分が選んで体験してるのに

怒ったり泣いたり、

恨んでみたり、


また、喜んだり、感謝したり

一喜一憂して



・・・



ジェットコースターに
自分で乗って


ワ―ッ
キャーッ

って叫んでるのと同じじゃん
って思ったの。


どんなに怖くて騒いだところで

あなた自分で乗ったんでしょ?



って冷めた視線を送っている
もう一人の私がいる






だから同時に

『気付きたくなかった。』

とも思った。




こんなにも、すべてを自分が、
選択しているなら


もうどんな悲惨な運命にだって、
なにひとつ文句が言えない。




だからね、



今のナシ

絶対に気づいてやんない




って決意して



引き続き

泣き続けたんだよね笑
  




私は、

不幸と言うジェットコースターに

悲劇のヒロインとして

乗ってみたかった!



そして、その先で


どうしても

やりたいことがあったのだ。





この決意は


長い間、誰にも
打ち明けてきませんでした。



(≧∀≦)   
       

そういうことなら
ほっといても大丈夫だね

ってことに
なっちゃいそうだったから。。


人から心配されたり
助けられたりする

なんか、そういうの
やりたいみたいだった。。。




でもね、

魂が喜んでやってるからって、
   
肉体の痛みや苦しみが、

免除される訳ではないんだ



ここが本当に、、、

わたしは〝人間"なんだ
ってことを思い知らされた部分。



これから私は

悲劇のヒロインとして
絶望する日々と

時々、本当は
楽しんじゃってる私を


行ったり来たりすることになります


 






いつのタイミングだったか、

母に電話をして
がんのことを報告をした。

その時も、
気付いてしまったことがある。


この病気を通して、
やりたいこと。


「母と、やり残したことを、やり尽くす」


これは、この病気を通して
一番やらなければならなかった
ことのひとつだったと思う。


やっとこれができるんだって
無意識に察知して、
嬉しかったのを覚えてるから。



でも、一番やりたい事は
一番やるのが難しい。



だって、長い間、やらないことを
選択し続けてきたわけだから。


そんな自分を変えるのは
本当に大変だった。


(ここはまた後ほど。)




私がガンと知った人たちは

当たり前だけど、顔色を変えて
心配の眼差しを向けてくる。

最初はそれが鬱陶しく
感じることもあった。


人から心配されたり、
助けられたいって
本当は望んでるはずなのに

それを極度に嫌う自分が出てくるから
とてもとても、やっかい。


私は同情されることが
大嫌いだった

ってことを痛感した
時期でもあった。



でもなぜ嫌なのかといえば




私は深いところで、



『心配の眼差しは


その事象を助長する』


と感じていたからだった。



(今は、みんなからの心配の

愛の部分を受けとめています。

だから、ありがとう♡)



また、心配とは反対に、

『さやかちゃんは絶対大丈夫だよ』

って、笑って無条件に信頼
してくれる友人もいて


そんな仲間といると


それだけで病気は

治ってしまいそうな

感覚もあった。





『この信頼の眼差しの前では


病気は生きられないのでは』


と、今でも思っている。




たかが、他人の眼差し

かもしれないけれど



自分と他人の境界がない

ことを思い出したとき



絶対に関係ない!

とは言い切れない
と思うんだよね。



私は確かに、

絶対的な信頼の眼差しに

本当に大きな救いのチカラ

があると感じていたから。





でも、この時の私は

まだ、がんを通して
やりたいことが
いっぱい残っていたから

そんな人たちの中に
ずっといることは
選べなかったのかも
しれないね。







ちょうどガンの告知を受けた
その日の夕方、1人だけ予約が
入っていて、セッションをした。



散々泣いて、醒めたあとね。



以前から親子で通ってくれている
親しいクライアントさんで



ここでまた、びっくりなことが…



『うちの父がね、○○ガンの
ステージⅡだったんだけど

○○(自然療法)で
治っちゃったんですよね。

MRIでみても、
ちゃんと消えてて。。

それ以来、ガンの人の相談を
受けたりする活動もしてて…』


と、突然そんな話を、なぜだか
とっても詳しく話してくれるんです。


私は自分の病気のことは
一切話していないのに、です。




これは、、ただの偶然だろうか?



セッションが終わった後、
自分の衝動にしたがって
彼女に相談してみることにした。



これが結果的に、
私の子宮を残すか否かを
大きく左右するきっかけとなりました。







東京では、セカンドオピニオン
で大きな病院を
何件もまわったけれど、

どこに行っても、
子宮は全摘出しかありえない!
今すぐ手術しないとあなた死ぬよ!!
わかってるの?!
と、何度も言われた。


それでも、私はどうしても
子宮を手放したくなく、、、
というか、それよりも


完璧なタイミングで出会った
自然療法を、試さずに
終わらせたくない。

とにかく
実験してみたくて、
そのワクワクが
止められなかった。


周りからは、とても
反対もされたけど、
1ミリも心は動かされず。

ここは強烈に頑固だった。


そしてこの時期、
糖質制限や、
温熱療法、針治療
○○式 食事療法など

ありとあらゆる方法も実践して

食事に関しては
とても知識豊富になっていた。






さらに、自分の過去の
クリアリングもいっぱいやった。


これは、自分と
徹底的に向き合う作業。


本当はあの時、
辛かったけど蓋をしてきたこと
我慢してたこと、
本当は嫌だったこと


置き去りにされた自分の感情を、
もう一度思い出しては

まるで今起きていること
かのように、再体験して


解放してあげること。


18歳で大阪へ出てから
今までの期間のすべての
クリアリングを徹底的に
やり尽くしました。



顕在意識では忘れられた
過去の記憶に紐づいた
感情たちに出会うと、

びっくりするくらいの涙が出るし

集合意識の闇へアクセス
しているような、そんな
重苦しい感覚もあった。


でも、泣きながら
毎日毎日、真剣に
向き合ってきたことで、


解放と同時に、私は
大きく育てられていました。




これは、
大切なことをたくさん教えてくれて
いつも傍で支え続けてくれた
大好きだった人のお陰。



とても感謝しています☆









病気発覚から半年くらい
経ったころ。



相変わらず仕事は
続けながら、


時々検査にいくものの、
腫瘍の大きさに変化はなく…


貧血の方が少し
深刻になってきていました。


もう仕事してる場合じゃないかな…

いったん北海道に帰って
療養しようか、、、
と思い始めたころ。



その決断を、
強制的に促される
事件が起きたのです。




つづく♡


4♡盗聴疑惑









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