5月29日22時頃


 子宮と仙骨の周りに激しい痛みが出はじめた


 もともと卵巣が少し腫れていることもあって、
これまでも子宮(卵巣)が痛くなることは度々あった


 それでも、我慢できる程度だったり
辛い時は鎮痛剤を飲めまば治まる程度


病院でも定期的な検査をするだけで
様子をみている状態だった


 そもそも卵巣の腫れは、去年までの抗がん剤の
影響で機能が低下していた状態から、どんどん
回復しているが為に起きているものでもあったから

気持ち的にも落ち込むようなものではなかった


でも今回の痛みは、今までのとは次元が違う

子宮も卵巣も腰もお腹も、あちこちが痛くて
激しい痛みは左右をランダムに移動していた


 とりあえずお腹に湯たんぽを当て
(いつもはこれで治ることが多い)

 病院からもらっていたロキソニンをレバミピド
(胃薬)とあわせて上限の2錠飲んだ


これで30分もすれば落ち着くだろうと思って、
うずくまること1時間。


、、、痛い、、、薬は微塵も効いてこなかった



その日は満月の23時21分

私はトリニティのインストラクター仲間の
愛梨ちゃんにメールをしてみた


『どうしよ痛過ぎてやばい』


少しすると電話をくれて話をした

すると子宮に異変を感じているのは
私だけではなかったことが分かった


共有していることが分かると、
気持ち的にいつもラクになる


私たちは子宮で繋がっている

分離した子宮ではなく、無条件の愛へと繋がる
無条件の愛の子宮で。


※『無条件』この本当の意味、
きっと完全に捉えられている人はいない
無条件とは何一つ条件付けのない状態のことだから
条件に縛られた頭や心では捉えられることができないものである

少なくとも、知識の中にあるものと照らし合わせて、
違ったものとして誤認するよりは、まだ分からないものとして認識
できる方がよっぽどリアルに近く、また無条件に近い捉え方となる


だから子宮の反応はいつも
同じタイミングで共有していることが多く

その痛みを感じている時にこそ、重要なことに
気付き、必要なワークが浮き彫りになることも多かった


痛みは様々な集合意識の闇を連れて来てくれて
それを捉えたからこそ、新たに観える『愛』が
あることも経験から学んでいた


私たちにとって子宮の痛みや反応というのは、
ある意味大切なビジネスツールとも言える
(私たちに限らず、本来は誰にとってもそう成り得る)


だから今回のこの激痛も、私の個人的な肉体の
体験を通して、また何か伝えられるものがあるのか
気付くことがあるのか、そんな想いもあった


連絡をしたその時、そこにはちょうど
トリニティ創始者のさとる先生と、
プラクティショナーの真理子ちゃん、桂子さんという
超強力なメンバーが居合わせており、
さっそくワークを開始してくれた。


私の子宮が痛いとき、さとる先生や皆に
ワークをしてもらって痛みが治まってゆくことは
これまで何度もあったし、本当にいつも
たくさん助けてられている


でも今回だけは、
更なる本格的なワークに移行されても
いつものように痛みが引いてゆく気配がなかった


子宮も腰もあちこちが痛く、
涙は止まらなくなっていた


 じっと座ってなんていられない、
ベッドに寝ることもままならない
痛くて黙っていることすら出来ず、
唸り声をあげていた


私のカラダ・ココロ・アタマのすべては

 『痛い』

ただそれ一色に染まってゆく


私が今どれだけ苦しんでいるか、それは
さとる先生も愛梨ちゃんも皆すべて分かっている


分かった上で、 それでも心配や不安を超えて、
無条件に私を観てワークを続けてくれていた


私自身にワークを終えて欲しい
という思いは無かったからだ


私の望み・選択は100%無条件に、尊重されていた


そして私は気付いていた

このままワーク続けてもらっていても
今回ばかりはこの痛みがひくことはない


それは、それすらも、皆も気付いていたことだった

私たちは、あのとき ひとつ だったから



私はいま何を求めているのか?
何を求められているのか?
この時間は何のために用意されているのか?

すべては私の選択だった


この痛みをどうにかして鎮めて欲しい、
解放して欲しい、それは率直な願いでもある



こんなに痛いのだったら、
この肉体ごと終わらせてくれたらいいのに


もう何もいらないから そうして欲しい
そう思えてくる程にカラダは限界に達していた


『だったら今スグ病院に行けば良い
救急車を呼べばいい、普通はそうするでしょう』


そんな当たり前のことぐらい、
私もみんなも当たり前に分かっている


そんな選択肢はすぐそばに、
いつでも手の届くところにあった


でも、それをまだ選ばなかったのは私だ
これは私の選択だった






ただひたすら痛みに苦しむ私の中に、
いつからかキリストが観えるようになっていた



私は知っていた


キリストは十字架の上で、
あまりにも残酷な肉体の痛みを経験した


どれだけ痛くて、どれだけ苦しかったのか、
それは想像を絶するレベルであることも


そして、そんな状況にありながらも最後まで
愛を信じぬいたこと


それでも神からの愛を受けとり、
それでも神を愛して、それでも神と
愛し合う交わりがそこにあったこと


十字架の上で死んだ、その死顔を絵で観たとき、
私はそこには無条件の愛だけがあることを悟ったのだ



どうしたらそんな風に、愛を選択できるのか?

あんなに苦しい状態にありながら、
どうやって神を愛すると言うのか?

どうやって愛されていると信じることができるのか?


私は必死に、そのキリストの観点にすがった

知りたかったし、今ここで観てみたいと思った







2017年3月
私は子宮頚がんの手術の麻酔から目が覚めたとき
体験したことのない激しい痛みに襲われた

(後から分かったことは、背中からの麻酔の効きが悪かった為に
あれほどの痛みを経験してしまっただけで
普通はそこまでの激痛にはならないのだそう…)


あの時から私の中に

愛と痛みは分離しているものなのだ

と条件付けが強くされた。






肉体の痛みや苦しみの中では、
愛を観ることはできない。


こんな酷い状況下で
『私は満たされている』
なんて言えるわけがない


それは大きな問題がないときだからこそ、
言えるただのキレイごとだ

そこに真実味がないことも知っている

もし肉体が我慢の限界を超えるほどの
痛みや苦しみの最中にあったら?

出口のない残酷な状況に晒されていたら?

それでも本当に
『私は(あなたは)満たされている』
そんな言葉を発することができるのか?


口ばっかりで浅はかで嘘っぽい
そんな表面だけの軽い『愛信仰』は
気持ちが悪いだけで吐き気がする



私は私自身へ向けて、そんな本音を


まだ隠し持っていた



あの時私は、痛みの中で


完全に愛に挫折をしたから











私はいま試されていた


術後のあの時と同等か、時間にしては今回の方が
はるかに長い時間の痛みの中で

もう一度、あなたは何を選ぶのかと






信じられるのはキリストだけだった


こんな痛み…あの時の術後の痛みだって…
キリストが体験した痛みに比べたら
ほんのヘナチョコ程度に過ぎないのに


私はまだ、
満たされている私・愛を

選ぶことができない

それが分からない



私は必死に
十字架上のキリストの観点に合一しようとした






でもそこでは激しい葛藤を伴っていた


もうやめたい!痛みなんて『苦』でしかない!
私には無理なんだ!もう嫌だ!分からなくていい!


私は皆と繋がっているスマホを
壁に投げつけたい衝動に駆られていた


破壊的なエネルギーは今にも
噴火状態の最高潮に達していた




キリストの観点を、無条件の愛を、
それでも満たされている私を、



観たいのに


そうなりたいのに、それが分からない


神の愛とは何なのか?

無条件の愛とは、本当に存在するものなのか?

















でも気がつくと


痛みで流れていた私の涙は


痛みや苦しみでだけではない


痛みも苦しみも悲しみも

嬉しさも喜びも『愛』もを

すべてを含んだ涙が
時折流れるようになっていた



その瞬間だけは、

感情のすべてが消え

思考のすべてが消え

肉体の輪郭までも消えかかっていた


痛みだけを残して





















今ならよくわかる


あのとき、そこにあったすべてが


無条件の愛だった


キリストの観点だった




無条件の愛とは


知覚することも 感じることも


考えることもできない



私の中にあったもの

私の外にあったもの


無条件の愛とは、肉体のような

境界線をもたないもの だった










そんなすべてを教えてくれたのは
他でもないキリストだ


私はどんなにすべてを投げ出そうとしても
キリストが私の中から、消えることはなかった


それこそが、絶対的な愛そのものだったのだ









あなたがどうにかしようとするのではない


できなくてもいい
葛藤していていい


私はここにいる
私をただ観ていなさい


自力で愛せなくていい
自力で愛を受けとれなくてもいい


あなたの中の私が
愛し愛され愛し合うのだ


ここにいる私が観えているなら


それはあなたなのです






無条件の愛とは

すべては与えられるものだった

心から、本気で求めた者だけに。








私の中のキリストが、
私に愛(神)を招き入れてくれた


それは痛み苦しみがあることには
一切の関係がないものだった



私ははじめて、
肉体の限界の中に在る『愛(神)』
痛みの中で出会うことができたのだ






それはまさに 奇跡 だった












午前2時36分 皆との電話を切って
午前3時頃 私は救急車で病院へと運ばれた



MRI検査の結果、
病名は月経モリミナと診断され

1年半前の手術の影響から子宮頚管が塞がり
月経血が排出されずに子宮内に溜まって痛みを
発症していたことが分かった

そしてその日の午後、緊急手術が行われた



検査結果を聞くまでは、私はいつもの卵巣の腫れ
からくる痛みだと思っていた


でも、この原因を知ったとき
私は内心とても嬉しくて興奮していた


なぜなら私は、抗がん剤治療の影響で
もう生理は2年近く止まっていたから


担当医にも
戻るかもしれないし、戻らないかもしれない


それは分からないんだと言われていて


諦めモードにも入っていた私にとって
『生理が再開していたこと』は



大きな喜びで



更なるもうひとつの、奇跡でもあった




















そして

この奇跡は、一度 愛に挫折をした
過去をも大きく変えてゆく


2016年(平成28年)から始まった
子宮頚がんの長かった闘病生活


愛(神)を本気で信じられなくなったその時を


まるで愛で上書きをするかのように
再体験されていたのだ



その証拠に
病院での様々な書類・同意書のサインの
日付をすべて『平成28年』と書いていたこと

FullSizeRender

(後からすべて拇印で訂正を求められて気付き…)
(さらに同意する・しない両方にチェック…)



置き去りになっていた過去は今に統合され







私のすべての人生には


ずっと、愛(神)が在り

痛みも、苦しみも、悲しみも、絶望も

すべては愛(神)の内にあること



愛と痛みは、分離していなかった


ということ



それを、今は信じられるという次元を超えて


私は知っている




















愛とは

相手の観点から 相手を観ることだ



もしこのブログを読んで

私のことを心配したり不安を感じているなら
もっと早く病院に行くべきだったと思うなら
痛そうで可哀想と思うなら


その眼差しは



私の観点を観ていない証



それは、無条件の愛ではない証となる







もしも私の観点から、私を観ることができたなら


すべては愛の物語であることがわかるはず


その眼差しこそが、本物の愛の行為となる



私を、自分のフィルターからではなく

ただ無条件に観ることができるのなら


痛みのすべてを包み込む

与えられる無条件の愛 というものを
私と一緒に観ることができるはず




私はそんな愛し方を知っている、さとる先生、
愛梨ちゃん、真理子ちゃん、桂子さんが


私の観点と交わりながら

最後まで無条件に見届けてくることを

信じていた


それが出来る人たちを、選んだのだ



どれほど、無条件に見守り続けることが
大変なことだったか


相手の観点に立ってみればよく分かる




私たちはもう、自分の思考や感情だけでは

生きていない


なぜなら、愛(神)の計画を知っているから


私たちは、愛(神)の計画を尊重して


愛(神)を対等なパートナーとして


奇跡を共に創造することを、選択している




もしも早々に救急車を呼ばれていたら…
心配と不安と恐れの眼差しばかりを向けられていたら…
そもそも愛も関心すらも向けられていなかったとしたら…


この奇跡は絶対に起きなかった

と断言することができる





私は愛の家族の、
無条件の愛に見守られていたお陰で

無条件の愛を与えられる

奇跡を起こすことが出来た




十字架にかけられたキリストを

聖母マリアさま・マグダラのマリアが
無条件の愛で観続けていたように

父なる神が子なる神キリストに
無条件に愛を与え続けていたように








ありがとう

私を無条件に愛してくれて。














人生を物語化することに


意味はないとはよく言われている


私もかつてはそう思っていた



でも



もしも人生を




『人間と愛(神)との物語』




として捉えることができたなら



あなたの人生は



そこから



すべての意味を



持ちはじめることになる













 無条件の愛の子宮から



    無条件の愛をこめて


















IMG_0865
父と子と聖霊の無条件の愛のMaria Trinity