【そこにいた神と】の続編です。



八ヶ岳に着いてまもなく

ボディラブの基礎
ボディラブのアドバンス
トリニティファイナル
フルトリニティ アドバンス
(LOVE OF GOD)

の5つのセミナーを
連続して一気に受講した。


神への疑いと、恨みはもったまま。






そして、この5日間で
わかったこと。


ここに書いて伝わるかどうかは
分からないけれど、、

私に起きた、5つの確かな現実


そのありのままを書いてみる。



【1】

初日のボディラブは

自分自身の愛への条件付けを

たくさんの項目から
ひとつひとつ、洗い出しては
無条件化(解放)してゆくのだけど

最後に、その全体を通して
私が最も条件づけているものは
何なのか?

を問いかけられた。


そして、導き出された答えは

“誰かのせいにしたい”




自分が苦しい時
不幸と感じる時

みじめな自分を認めたくなくて

自分の運命は、
本当は恵まれてるはずだ

と、納得させるために

これは本来の私じゃない!
と主張するために…

私は自分の不幸を
誰かのせいにしたかった。



そこに気付けたとき

癌は、本当に神のせいだったの?

闘病の苦しみ…友人の死…

それは本当に神のせいと言えるのか…

どんどん、分からなくなっていって…



本当は、誰のせいでもなかった


と、


諦めにも似た
“無条件化”が起きてしまった。




そうなると、それまで抱えていた
恨み・怒りは行き場を失い

やがて ふわりと消えてゆく。



もう、神を恨む理由はなくなった。


ボディーブローを
100発くらい くらった気分。。


軽く 抜け殻。。



でも、

疑問が“すべて”消えた
わけでは、まだなかった。



【2】

翌日はボディラブのアドバンス。


相手のカラダと触れ合うことで
無条件の愛のエネルギーを
受け取るワークがあるのだけど


そこにいたのは、

もちろん 人間


なんだけど、


あれ。。。なんだろう。。


だんだん、人間ではないものに
なってゆくのを観ていた。



これって、、、



私が触れ合っていた

その相手は



 神 。



そこにいたのは 神 だった。





なんでそんなことが
分かるのかな


それは説明もできないし

人に信じてもらえる
とも思ってない。


だから、さやかちゃん
おかしくなっちゃったんだね。。


と思われても仕方ないことを
前提に、続けるけれど



でも、これは紛れもなく
現実の私の身に起きたこと。




漠然と、どこか天の向こう側
にいるのだろうと思っていた
その存在が


私の目の前に

私の腕の中に

在る。


なんでだろう。


それだけで、私は

何もかもが溶かされてゆく
のを観てしまったんだよね。

いや、溶かされてゆくのを観たから
そう思えるのかもしれないけれど。



誰かのせいにしたい自分を
無条件化した 昨日。


でも、神に触れられている…って
なんかもう、そんな次元の話じゃない…


私は起きてる奇跡を捉えることも
うまく言葉にすることもできずに

ただ、しばらく放心状態になっていた。



【3】

三日目、四日目は
トリニティファイナル。

そして5日目のフルトリアドバンス。


癌とか、死とか、この世は
なんで、こんな苦しみの多い
世界なの。


…これも神の意図なの?


そんな疑問を抱くと、また
神のせいにしたいパターン
を繰り返そうとする自分に気付く。


(でも、そう思って神を疑うのなら
とことん、疑問を尽くせばいい)


そして、すべてを受講して
わかったこと。


闇は闇として、確かにある。

そこに、神の意図がまったくない。

とは、もしかしたら
言い切れないのかもしれない。


でも、

神は、どれだけ人間を救おうと

その手を差し伸べているのか。


闇があるとしたら

それは人間を苦しめるためだけに
存在しているのでもない。



神はただ、人間と一緒に

無条件の永遠の愛

創ろうと、ずっとそれだけを

やろうとしてきてる。

それは、
トリニティファイナルによって

過去200年の世界史と完璧に合致
しているエネルギー構造から、

改めて、今この時代を捉えること
でも分かったし

フルトリアドバンスによって
本当に、これが最終章と言える

救いのツールを人間に
手渡してくれていると分かって



これって
人間側にとっては

ずっと求めていた“ 永遠の光 ”
ずっと求めてきた“ 救い ”


と言えるんじゃないのかな?

私は、そう確信したの。



そして



そんなアドバンス受講中の
お昼休み後、

私は過去生の記憶が
どんどん蘇ってきて

そのあまりにも悲し過ぎる
『絶望感』
涙と嗚咽が出るほどに強烈で

それと同時に、お腹と子宮の激痛に
しばらく うずくまってしまっていた。


・過去・

だだっ広い薄暗い部屋に
何十人もの人が、ぐったりと
床に寝ころんでいる。

それは、
今日生きることがやっと
という、今にも息絶えそうな
衰弱しきった人たちばかり。

そして私は、そんな人たちの
体に一人ずつ、手を当てながら
歌を口ずさんでいた。

死と絶望が織り交ざる
悲しすぎるメロディ。

思い出すと今でもまだ
胸が痛くなる。

でも私はそこで、病気を治そうとか
体を良くしてあげようとか
そんな目的はもってない。

救いたいのは命だった。

そのために、
思考錯誤を繰り返し
何度も挑戦してきたけれど

結局、誰一人として救えず…

その絶望感だけが残っていた。




人間は、『死』から救われたことは

未だかつて、一度も無い。



だからそれについて考えることは
とっくの昔に諦めて

みないようにフタをして

生きてる間だけ幸せだったら
それでいい

と、当然の如く自分に
言い聞かせながら

盲目のまま

生まれては死んでを
何度も何度も繰り返している。














でもね。


そういう時代はもう
終わりを迎えている。




この

共同創造の時代って


これまで何度生まれ変わっても
得られなかった

本当の救いを創れる時代。



いまって、本当に
奇跡みたいな
そういう時代に入ってる。


信じられないのも当然。

だってこれまで一度も
生きたことがない時代なのだから。


でもね、



私はこれを、過去生から
泣きながらずっと待っていた。








そして、重要なことは

それを選ぶか否かは自分で
決める必要があるってこと。

神が勝手にやってくれる
わけじゃないんだよ

それは絶対に出来ない
理由があるから。



本当のゴールを知って
そこを生きるか

盲目のまま、
また生死を繰り返すのか


誰でもない、自分で決めることで

創れる奇跡があるんだね。





【4】

ボディラブを受けたあと
さとる先生から

さやかは洗礼を受けれるらしいよ
と伝えられた。

洗礼??

実はその時、まったくピンと来ず
へぇー…そうなんですかぁ…

と軽い返事をした。

実は私、キリストとか神というものに
本当に興味が薄かったんだなぁと
今になってよくわかる。

それは、洗礼って聞いたことはあるけど
何するの?びちゃびちゃになるの?
くらいの無知レベル。。だったから。。
ここだけの話。



だから、実はいまいちよく分からずに
受けることになったのだけど、

聖母マリアトリニティ教会
で行われたその儀式

そこで、また
奇跡を魅せつけらることに。


他のインストラクターや
トリニティプラクティショナーの
人たちに見守られるなか

私はさとる先生と向かいあって

先生の言葉に続いて
儀式が始まってゆくのだけど

もう最初に2言、発しただけで

大大大号泣になってしまって
3言目を口に出せずに中断
となった。


あの時は、溢れる涙と嗚咽に
頭も心も真っ白で

自分が何で泣いてるのかも
分からず、でも止まらなくて。

しばらく落ち着くのを待ってもらい
仕切り直してもらう程の反応だった。



洗礼の意味にも乏しい私が
なんであんな大泣きになるの…



自分でも信じられない私を
目の当たりにした瞬間でもあった。





でも今なら、あの時何が起きたのか
ちゃんと説明することができる。


私は
神と真正面から向き合った瞬間


一度は完全に離れ、
何なら否定までしていた私を、

神は無条件に許し、
受け入れてくれていることを


悟った。


神は私を愛してくれている
と、無条件に わかったの。


だから私は大号泣で…
無条件に許されるとは、こんなにも…
言葉にならないものなんだ…

これが無条件の愛なんだと、
身を以て、カラダごと


神の無条件の愛を受け取った。










私を裁いていたのは私だった。

神を恨んでいた私を

『神は許さないだろう』と
心のどこかで勝手に決めつけ
ていた自分を思い知った。


私はどんだけ神をなめてたんだろと

自分の愛の浅さに凹み


また深すぎる愛に
感動して泣き崩れたのだ。





人間を裁こうとするのも、
許さないのも、人間だけ。


神を愛せない者を
神は愛せないのだとしたら、、

この世はとっくに終わってる。


ずっと何千年も前から神は、

目覚めない人間を
ただ無条件に観て

愛しているからこそ

今この時代に繋がっているし



覚醒者たちは、

この世は愛だった

と、口にできたりする。



でも、


愛は、ただそこにあるものじゃない。



無条件に、与え続けている

存在がいるから

受け取れる



無条件の神が

無条件の愛を


与えているから

そこに在るんじゃないのかな。







あのとき、わたしを無条件に許し
受け入れてくれた神のすべてを


私は一生、


忘れられないと思う。



私は神から、無条件の愛
与えられたのだと思ってる。


どうやったって
ちっぽけな人間には真似もできない
『無条件の愛の神』


それが、あのときから
私の中に 確かに交わっていて
ここにいる。



それは私にとって、



人生最大の


奇跡


なんだよね。







【5】


私がトリニティを生きる
もうひとつの理由。

それは
エジプトのピラミッドの地下で
キリストと肉体で交わった

マグダラのマリアの存在。

私はトリニティに出会うまで

キリストとかマリア様とか
マグダラのマリアとか神とか

本当に遠くの、
無縁の物語だと思ってた。

それは、1年半前インストラクター
をやっていたときでさえ。

どちらかと言うと
瞑想的なブッタのほうが
ロルフメソッドとも通ずるものが
あったし、身近に感じていた。



でも、

この、祈り瞑想
一見、対極にみえる
キリストブッタ

“ 根っこでの繋がり ”
というものが本当はあって、

実は、
切り離すことはできないもの
だった・・・

それが、
究極の真理として
トリニティに伝えられ

ファイナルですべて
明かされているのだけど…


ここは、トリニティが
どんだけすごいところを
やってるかってのを
魅せつけられる部分でもある。


だから、どちらかと言えばブッタ派
だった私が、トリニティに導かれて
いるというのも、ごく自然な話になる。


マグダラのマリアには、ただ
親友の様な懐かしさと、愛おしさ
を感じてならないんだよね。

だからもう、神とかキリストとか
遠くの非現実的な物語
ではなくなっていて

その物語に前から私も
参加していたような

家族の様な懐かしさ
なのかな。

なんでだろうね。
これも説明はできないけれど。

マグダラへの好き!は、
なんだか純粋無垢な私を
思い出させてくれて

無条件の愛の生き方を
いつもそばで教えてくれる。

それはマグダラに限らず

マリア様や神もなんだけど。


なんだか友情にも似た愛を感じて
それが可愛くって好きなのかな。

だから、そんな愛しい存在を
もう無視することはしたくない
っていう。


それも、この生き方を選択している
大きな理由のひとつになっている。


マグダラからの大切なメッセージ

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今なら心から言える



人間は無条件に


神から愛されている。




私でさえ

こんなに愛を受取れたのだから。



どんな人間も無条件にって

本当の、本当だと思う。





それを本気で伝えるために私は
トリニティのインストラクターに
戻った。


神が好きだからセミナーを受ける!
とか、そんな理由じゃなくてもいい。


キリストって、
なんか宗教っぽくてこわい?

それでもいいよ。


私のように、神に対して否定的で

ネガティヴな何かをもってる人にこそ

受け取ってもらいたい


トリニティは宗教・宗派を超えた



ただ、



『無条件の愛』




そのものだから。







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新しいセッションとは…↓
‘無条件の愛の子宮から永遠の愛を’
  Body Love of God 3セッション




SI SALON  Rolf's Body Method
ロルフメソッド専門ボディサロン

Owner Therapist
髙橋 清香





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 3月17日&18日開催(北海道)
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【ストラクチュラル・インテグレーション】
✿10セッションシリーズ
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