いつのタイミングだったか、

母に電話をして
がんのことを報告をした。

その時も、
気付いてしまったことがある。


この病気を通して、
やりたいこと。


「母と、やり残したことを、やり尽くす」


これは、この病気を通して
一番やらなければならなかった
ことのひとつだったと思う。


やっとこれができるんだって
無意識に察知して、
嬉しかったのを覚えてるから。



でも、一番やりたい事は
一番やるのが難しい。



だって、長い間、やらないことを
選択し続けてきたわけだから。


そんな自分を変えるのは
本当に大変だった。


(ここはまた後ほど。)




私がガンと知った人たちは

当たり前だけど、顔色を変えて
心配の眼差しを向けてくる。

最初はそれが鬱陶しく
感じることもあった。


人から心配されたり、
助けられたいって
本当は望んでるはずなのに

それを極度に嫌う自分が出てくるから
とてもとても、やっかい。


私は同情されることが
大嫌いだった

ってことを痛感した
時期でもあった。



でもなぜ嫌なのかといえば




私は深いところで、



『心配の眼差しは


その事象を助長する』


と感じていたからだった。



(今は、みんなからの心配の

愛の部分を受けとめています。

だから、ありがとう♡)



また、心配とは反対に、

『さやかちゃんは絶対大丈夫だよ』

って、笑って無条件に信頼
してくれる友人もいて


そんな仲間といると


それだけで病気は

治ってしまいそうな

感覚もあった。





『この信頼の眼差しの前では


病気は生きられないのでは』


と、今でも思っている。




たかが、他人の眼差し

かもしれないけれど



自分と他人の境界がない

ことを思い出したとき



絶対に関係ない!

とは言い切れない
と思うんだよね。



私は確かに、

絶対的な信頼の眼差しに

本当に大きな救いのチカラ

があると感じていたから。





でも、この時の私は

まだ、がんを通して
やりたいことが
いっぱい残っていたから

そんな人たちの中に
ずっといることは
選べなかったのかも
しれないね。







ちょうどガンの告知を受けた
その日の夕方、1人だけ予約が
入っていて、セッションをした。



散々泣いて、醒めたあとね。



以前から親子で通ってくれている
親しいクライアントさんで



ここでまた、びっくりなことが…



『うちの父がね、○○ガンの
ステージⅡだったんだけど

○○(自然療法)で
治っちゃったんですよね。

MRIでみても、
ちゃんと消えてて。。

それ以来、ガンの人の相談を
受けたりする活動もしてて…』


と、突然そんな話を、なぜだか
とっても詳しく話してくれるんです。


私は自分の病気のことは
一切話していないのに、です。




これは、、ただの偶然だろうか?



セッションが終わった後、
自分の衝動にしたがって
彼女に相談してみることにした。



これが結果的に、
私の子宮を残すか否かを
大きく左右するきっかけとなりました。







東京では、セカンドオピニオン
で大きな病院を
何件もまわったけれど、

どこに行っても、
子宮は全摘出しかありえない!
今すぐ手術しないとあなた死ぬよ!!
わかってるの?!
と、何度も言われた。


それでも、私はどうしても
子宮を手放したくなく、、、
というか、それよりも


完璧なタイミングで出会った
自然療法を、試さずに
終わらせたくない。

とにかく
実験してみたくて、
そのワクワクが
止められなかった。


周りからは、とても
反対もされたけど、
1ミリも心は動かされず。

ここは強烈に頑固だった。


そしてこの時期、
糖質制限や、
温熱療法、針治療
○○式 食事療法など

ありとあらゆる方法も実践して

食事に関しては
とても知識豊富になっていた。






さらに、自分の過去の
クリアリングもいっぱいやった。


これは、自分と
徹底的に向き合う作業。


本当はあの時、
辛かったけど蓋をしてきたこと
我慢してたこと、
本当は嫌だったこと


置き去りにされた自分の感情を、
もう一度思い出しては

まるで今起きていること
かのように、再体験して


解放してあげること。


18歳で大阪へ出てから
今までの期間のすべての
クリアリングを徹底的に
やり尽くしました。



顕在意識では忘れられた
過去の記憶に紐づいた
感情たちに出会うと、

びっくりするくらいの涙が出るし

集合意識の闇へアクセス
しているような、そんな
重苦しい感覚もあった。


でも、泣きながら
毎日毎日、真剣に
向き合ってきたことで、


解放と同時に、私は
大きく育てられていました。




これは、
大切なことをたくさん教えてくれて
いつも傍で支え続けてくれた
大好きだった人のお陰。



とても感謝しています☆









病気発覚から半年くらい
経ったころ。



相変わらず仕事は
続けながら、


時々検査にいくものの、
腫瘍の大きさに変化はなく…


貧血の方が少し
深刻になってきていました。


もう仕事してる場合じゃないかな…

いったん北海道に帰って
療養しようか、、、
と思い始めたころ。



その決断を、
強制的に促される
事件が起きたのです。




つづく♡


4♡盗聴疑惑