抗がん剤の治療は月に1回
1週間ずつ入院し
約半年間かけて、
術前6回の治療が終わる頃
私の腫瘍は、奇跡的にも
半分以下に縮小していた。
これなら温存の手術ができるね。
先生からそう言われ、
あの苦しみは報われた…
と、ホッとしていたとき
同じタイミングで
歳も近く、いつも同室で
仲良く励まし合っていた友達が
皮肉にも、、
これまでの抗がん剤の
効果がなかったことが分かり
もう手術もできない状態で
いずれ緩和病棟へ転院…
と告げられていたところだった。
なんて残酷なんだろう…
なんで、こんなにも
何にも出来ないんだろう…
私たち人間は「死」というものに
対して なんて無力なんだろう…
あのとき、そう感じたのを覚えてる
大学病院の婦人科病棟は、
子宮に癌を患った人で溢れ
ベッドは絶えず、満床状態
多くの人が
「子宮」と「死」に向き合わされ
絶望感や苦しみと闘う
リアルな現場だった。
ひとつ階が変われば
同じ婦人科でも
そこは明るい産科病棟
赤ちゃんの泣き声と共に祝福の
エネルギーで満ち溢れているのに…
『生と死』 『光と闇』
それがすぐそばで併存している様が
そのときは、なんだか異様に感じていた。
✿
前日の絶食を経て、迎えた
2017年3月15日の手術当日。
手術台は予想以上に柔らかく
手術室では、ちょうど私の好きな
エグザイルの曲が流れていた
音楽のチカラはすごいなって
あのとき、改めて思ってね。
横向きで、麻酔は背中から入れられて
数を数えながら、酸素マスク(?)
で何度か深呼吸をすると
眠りに落ちていた
そして目が覚めると、、、
元の病室のベッドに戻っていた
ことを、
自覚すると同時に
ジワジワと
子宮、膣、の痛みを感じ始め・・・
痛--------い!!!!!!!
子宮頸部あたりの、
尋常じゃない痛みに覚醒し
私はひたすら泣き叫けんだ!
痛い 痛い 痛い!!
それはとにかく、
経験したことのない痛み
そして、少しずつ
自分の状況に気付き始めた
両腕には点滴の針
両足はポンプで固定され
口と鼻には酸素マスク
お腹には(その時は分からなかったけど)
ドレーンの管が突き刺ささり
背中にも麻酔の管が突き刺さり
尿道にも管が刺さっていて
膣にも何か刺さってる・・・
身動きが取れない状態で
ただひたすら、
激しい痛みと格闘するだけの時間…
これは地獄か。。。
あまりに激しく痛がる私の横で
『こんなに痛がってるけど・・・
麻酔増やせないんですか・・・』
と動揺しながら看護士さんに
質問する母の声がした。
こんな私を見て、、、母も相当、
きつかっただろうと思う。。
こんな姿を見せてしまったことに
私には後悔と罪悪感が生まれていた。
(これが出産による痛みなら
見てる方も、まったく気分が
違うんだろうけど。。)
麻酔でも何でもいいからこの痛み
どうにかして、、、、、、、、、、、泣
心の中で、そう懇願する思いとは裏腹に
看護士さんからの冷静な回答は
とても残念なものだった。
『血圧が安定するまでは
増やせないんですよ』
私はもう、ただ泣き喚きながら
耐え続けるしかなかった。
*
それから、
どれくらいの時間が経っていた
のかは分からないけれど
いつの間にか私は眠っていて
目が覚めると
さっきまでの激しい痛みからは
解放されていて
ただ放心状態で
天井をぼんやり眺めていた。
✿
私は、私が、大嫌い
そんなことを思って、
考えていられるうちは
まだ元気な証拠だった
カラダが極限の状態にあるときは
そんなこと、考える余裕も
感じる余裕も、一切ないのだから
ただ、ひたすら今を
その瞬間を生きることしかできない
カタダは、本当に、そういうものだった。
だから、この時なにを考えて
何を感じていたのか
思い出そうとしても
あまり思い出すことが出来ないのだ。
それから術後3ヶ月、
3回の抗がん剤治療を経て
2017年6月
すべての治療は無事に終了となり
その後は、定期的な検査をしてゆく
ことになった。
ガンが発覚してからここまで
私の選択は、ほとんどが
イレギュラーなものだったと思う
こんなワガママな生き方を
許して支えてくれた人たち…
本当に、心から感謝してます。
そして、最後に訪れた奇跡。
それは、これまでの過酷な過去をも
まるごと、変えてしまうものでした
つづく
入院中は、子宮委員長はるちゃんが
札幌に来てくれたので、這いつくばって(笑)
会いにいってきたよ♡
札幌に来てくれたので、這いつくばって(笑)
会いにいってきたよ♡