4♡盗聴疑惑



その事件の概要とは。。




カード会社から、身に覚えのない、
ご利用ありがとうございます
のメールが2通届きました。

あれ?ネットで何か
買ったんだったかな?

と思ってアマゾンや
楽天にログインしようとすると


なぜかパスワードが認証されず、、、


アカウントに使用していた
フリーメールにも、
ログインできない、、、


パスワード、
書き換えられている(@_@;)

アカウントが3つも、
乗っ取られていました。


ちょっと、
こんな時に余計なトラブル
やめてくれないかな、、、

(=_=)


翌日、カスタマーに連絡をして
ログインは出来たものの

注文履歴を見ると、
パソコンと時計が購入されていた…


しかも発送済み。。


(販売店も共犯なんじゃ?
と思えるほど、発送が異常に
早かったのを覚えている)


でも配送先は、
私のマンション。。

どういうことなんだろう。。


急いで宅配業者へ連絡し、
持ち帰るようお願いしたはずなのに


ウェブで確認すると、
『宅配ボックスにお届け済み』
になっていて。


ちょ!!なんで!!
と再び電話で確認すると


私が連絡をした後に、
(犯人から)
また再配達の連絡が
あったから、配達したと、、、


こわいよ、もう。


その後、
配達員のお兄さんにも
事情を説明して

届けられてしまった
宅配ボックスの荷物を
回収に来てもらったところ、、、


犯人、登場!!!


私は部屋にいたから
見ていませんが。。


片言の日本語で、

ワタシ、タカハシ デス。

と言って、
荷物 受取りに来ちゃったw


これはさすがに配達員さんも
怪しく思い、身分証見せて!
と言ったら
去っていったらしいのです。。。


もうね、
犯人が家にまで来たってことが



怖いし、気持ち悪い!!!



その後
警察に連絡をした後、

お友達にも電話をして

『マンションの防犯カメラにね
犯人、映ってるはずだから
見せてもらうことになってるんだぁ』

などと会話をして、
電話を切った後まもなく


知らない番号から
着信がありました。



『管理会社の○○ですけどー、
防犯カメラねー、
ちょうどその時間
壊れてたから、
見れないんですよー!』


って、ちょっとオラオラ系の
しゃべり方をする男性の声。


?なんで防犯カメラの件
知ってるの??
軽くパニック。

しかも
そんなタイミング良く
故障って…


こいつ絶対、共犯者だ!!!

こわい!!!!

(*_*)


電話を切ってすぐ、
着信番号を検索してみたら


中国語会話スクールだったか
とにかく中国系の会社の
連絡先になっていて


管理会社じゃない・・・

ということは、、、
今の電話、、、


!!


もしかして

盗聴!?


私の頭の中は猜疑心で
いっぱいになってゆきました。


とにかく怖くて怖くて

トイレにこもって
鍵を閉め

友人に、超小声でヘルプの電話。。


その日は
泊めてもらうことになりました。


もう、なんだか
お祭りの様な大騒ぎだった笑


それから何度か警察署へ
出向いたり

実際にマンションへ来て
もらったりもしたのですが


盗聴は完全に勘違い
だったことが判明。笑


防犯カメラの件は
警察から管理会社へ
連絡がいっていたらしく。

故障してたのも、たまたまで

電話番号が中国系の会社として
サイトに載っていたのも

本当にただの間違いだったそう。


あの番号も、
オラオラ系の人も

間違いなく
管理会社の人だった笑

(疑ってごめんなさい!)



恐れの渦にハマってしまうと
見事なまでに、たまたま は重なり

何でもないことまで
恐れの対象として捉え

幻想のなかで、
ひとり、騒いでしまうんだ

ということが分かった。。


そして、
不正注文された商品は
無事にすべてキャンセル
することができ


金銭的な被害は
なにも無かったのだけれど。


もう気持ち的に、
この家に住むのが
嫌になってしまった。


そして、


私はやっと、
実家に帰ることを
決断できたのです。


ちょっとやり方が
強引過ぎやしないか…

とは思うけれど。


渋谷の富ヶ谷という場所が
私はとても気に入っていたし

離れたくなかったから。


これくらいの事件が起きないと
引っ越しを決めることが
出来なかったのかもしれません。





今回の事件を体験して

その現象の最中では
まだまだ、振りまわされる
自分を自覚することができた。


そして、似たような事件が
20歳の頃にもあったことを
思い出す(*_*)


その時は、大阪の
大きな新築マンション
に住んでいて

そのマンション内の数十部屋に
泥棒が入ったのです。

私も、ブランドバッグや時計など
たくさん盗まれてしまい

警察のお世話になったのですが

たまたま家財保険に入っていて
被害額のほぼ全額相当のお金が
保険金で支払われ

むしろラッキー☆
と喜んでしまった記憶。。


数年後、
警察から犯人逮捕しました!
の連絡があり、

プロの犯罪組織
だったことを聞かされました。



今回の事件も
IPアカウントから
プロの組織だろう
と聞かされていて、

そういえば昨年も
私のインスタのアカウントが
海外の何者かに乗っ取られ、
使用できなくなりました。。


どうして私は、

いつも
犯罪組織の標的に
されてしまうのか。。。


3回あったということは
完全に、私のパターンです。。





本当は、

こわい こわい と言いながら

こんなスリル満点の世界を


楽しんじゃってる!

私がいる。。。。


そしてこれも、あれですよ。

可哀そうなわたしを助けて。


配達員さんの
ナイスプレーによって、
お友達の的確なサポートによって
警察の協力によって

実現された。



どこまでも呆れるほどに


自分が望む世界を

ただ創造していた

だけだった。







苦しくても、ピンチでも、


そこから利益を得ている

自分に気がつくことができたら


少しは目を醒ますことが
できるかもしれない。


そして、
醒ましたくない自分にも
また出会うのかもしれない。







つづく♡










3♡心配より信頼して



いつのタイミングだったか、

母に電話をして
がんのことを報告をした。

その時も、
気付いてしまったことがある。


この病気を通して、
やりたいこと。


「母と、やり残したことを、やり尽くす」


これは、この病気を通して
一番やらなければならなかった
ことのひとつだったと思う。


やっとこれができるんだって
無意識に察知して、
嬉しかったのを覚えてるから。



でも、一番やりたい事は
一番やるのが難しい。



だって、長い間、やらないことを
選択し続けてきたわけだから。


そんな自分を変えるのは
本当に大変だった。


(ここはまた後ほど。)




私がガンと知った人たちは

当たり前だけど、顔色を変えて
心配の眼差しを向けてくる。

最初はそれが鬱陶しく
感じることもあった。


人から心配されたり、
助けられたいって
本当は望んでるはずなのに

それを極度に嫌う自分が出てくるから
とてもとても、やっかい。


私は同情されることが
大嫌いだった

ってことを痛感した
時期でもあった。



でもなぜ嫌なのか?





私は深いところで、



『心配の眼差しは


その事象を助長する』


と感じていたからだった。



(今は、みんなからの心配の

愛の部分を受けとめています。

だから、ありがとう♡)



また、心配とは反対に、

『さやかちゃんは絶対大丈夫だよ』

って、笑って無条件に信頼
してくれる友人もいて


そんな仲間といると


それだけで病気は

治ってしまいそうな

感覚もあった。





『この信頼の眼差しの前では


病気は生きられないのでは』


と、今でも思っている。




たかが、他人の眼差し

かもしれないけれど



自分と他人の境界がない

ことを思い出したとき



絶対に関係ない!

とは言い切れない
と思うんだよね。



私は確かに、

絶対的な信頼の眼差しに

本当に大きな救いのチカラ

があると感じていたから。





でも、この時の私は

まだ、がんを通して
やりたいことが
いっぱい残っていたから

そんな人たちの中に
ずっといることは
選べなかったのかも
しれないね。







ちょうどガンの告知を受けた
その日の夕方、1人だけ予約が
入っていて、セッションをした。



散々泣いて、醒めたあとね。。w



以前から親子で通ってくれている
親しいクライアントさんで。



ここでまた、びっくりな話。。。



『うちの父がね、○○ガンの
ステージⅡだったんだけど

○○(自然療法)で
治っちゃったんですよね。

MRIでみても、
ちゃんと消えてて。。

それ以来、ガンの人の相談を
受けたりする活動もしてて…』


と、突然そんな話を、なぜだか
とっても詳しく話してくれるんです。


私は自分の病気のことは
一切話していないのに、です。




これは、、ただの偶然だろうか?



セッションが終わった後、
自分の衝動にしたがって
彼女に相談してみることにした。



これが結果的に、
私の子宮を残すか否かを
大きく左右するきっかけとなりました。







東京では、セカンドオピニオン
で大きな病院を
何件もまわったけれど、

どこに行っても、
子宮は全摘出しかありえない!
今すぐ手術しないとあなた死ぬよ!!
わかってるの?!
と、何度も言われた。


それでも、私はどうしても
子宮を手放したくなく、、、
というか、それよりも


完璧なタイミングで出会った
自然療法を、試さずに
終わらせたくない。

とにかく
実験してみたくて、
そのワクワクが
止められなかった。


周りからは、とても
反対もされたけど、
1ミリも心は動かされず。

ここは強烈に頑固だった。


そしてこの時期、
糖質制限や、
温熱療法、針治療
○○式 食事療法など

ありとあらゆる方法も実践して

食事に関しては
とても知識豊富になって


今の生活にも
大きな影響を与えています。





さらに、自分の過去の
クリアリングもいっぱいやった。


これは、自分と
徹底的に向き合う作業。


本当はあの時、
辛かったけど蓋をしてきたこと
我慢してたこと、
本当は嫌だったこと


置き去りにされた自分の感情を、
もう一度思い出しては

まるで今起きていること
かのように、再体験して


解放してあげること。


18歳で大阪へ出てから
今までの期間のすべての
クリアリングを徹底的に
やり尽くしました。



顕在意識では忘れられた
過去の記憶に紐づいた
感情たちに出会うと、

びっくりするくらいの涙が出るし

集合意識の闇へアクセス
しているような、そんな
重苦しい感覚もあった。


でも、泣きながら
毎日毎日、真剣に
向き合ってきたことで、


解放と同時に、私は
大きく育てられていました。




これは、
大切なことをたくさん教えてくれて
いつも傍で支え続けてくれた
大好きだった人のお陰。



とても感謝しています☆









病気発覚から半年くらい
経ったころ。



相変わらず仕事は
続けながら、


時々検査にいくものの、
腫瘍の大きさに変化はなく…


貧血の方が少し
深刻になってきていました。


もう仕事してる場合じゃないかな…

いったん北海道に帰って
療養しようか、、、
と思い始めたころ。



その決断を、
強制的に促される
事件が起きたのです。




つづく♡












1♡病の告白


こんにちは✿
さやかです。


このカテゴリーでは
   
私の病気が発覚してからの

約1年半の出来事や学びを

開示して行こうと思っています。
   

ところどころ、
覚えていないこともいっぱいあって、
話が飛び飛びになるかもしれません。

でもきっと、書いているうちに
必要なことは自動的に
思い出されるはずだから!


がんばってみます♡




ご興味のある方のみ、どうぞ♡












【1♡すべては愛を学ぶ延長線上で起きている】





昨年6月より、
東京の銀座~表参道で


丸8年続けたサロンを引き払い
地元に帰ってきました。


その理由は、、


身近な友人以外には、
療養のためと言って、
病名は打ち明けては
こなかったけど、、、


もう今から2年近く前になります。


ちょっとした不正出血が続いて
新宿のレディースクリニック
に行きました。
   

すると、すぐに大きな病院へ
行くよう、紹介状をもらい…


数日後、新大久保にある病院で
MRI検査とCT検査を受けました。


そして数日後、
また病院へ行ったのですが


・・・


まず、

その日に行われた
細胞診の検査が


もう衝撃的に痛くて(@_@;)


立ちあがって3歩あるくと
貧血で倒れてしまうほどでした。


結果を聞く前から、
心と体に大ダメージを
受けたのです。

   

そして、



痛みの衝撃から
立ち直れず、

放心状態の私に
追い打ちをかけたのは



そこで告知された病名でした。

   

担当の女医さんは
同い年くらい。



『ちょっとねぇ、、、

結果が良くないんだぁ。。。

まだ細胞診の結果は出てないけど




ほぼ間違いなく




子宮頚がん だね



ステージはII(2)だね』



(・0・;)!!!

   


『今すぐ手術をしないとね…

 子宮を全摘して…リンパもとってね

  術後は抗がん剤をして…

   放射線治療もすることになるね…』





どんどん意識が遠のいてゆく・・・

   




ガン。

抗ガン剤。

こう聞くだけでも
なんだか、ゾッとしませんか??
   

私は今、
このフレーズを思い出すだけで


世界が暗く重たくなって
ゆくのを感じる。

本当に、
この病気の闇は深いんだと思った。




そしてこれは、
忘れてしまいたい過去として
私の中に存在していること、
   

こうして思い出すだけで、
またあの暗闇へ引きずり込まれそうな
恐れを、まだもっていることが


いま、よくわかる。



だからこそ、私の中の
タブーを解放してあげるため
ここに公開することにしました。







その日は確か、
夕方から仕事も入っていたから


次回の細胞診の結果を聞く
日時の予約だけして

電車に乗りました。



もう、頭も心も大混乱で
涙は全然止まらず…


周りに居る人たちみんなが
幸せそうにみえて


私だけ、
取り残されてしまった
ような感覚だった。


自分の状況によって
外界の見え方がこんなにも
変わってしまうんだなって


泣きながら体感したのでした。


  
サロンに着いて、
ドアを閉めた瞬間に
 


これまで抑え気味にしてきた涙が
うわーーーって大量に溢れて
大泣きになった。



未来は真っ暗だったし


自分の死と、

はじめて本気で向き合わされて


子供の頃の記憶とか

色んなものが走馬灯のように
駆け巡った。





しばらくの間   


絶望的に泣いて、



泣いて、



泣いて、



これまで頑張ってきたことの

すべてが

崩れ落ちてゆく感覚に陥っていた。



仕事のこと

恋愛のこと

お金のこと


もう、なにもかもが


どうでもよく思えた。





死を前にして


そんなことはどうでもいい


と感じたのです。




そして、

絶望に打ちひしがれながら



ただ、ひたすら



泣き続けました。



・・・






そしたら、、、




1リットルの涙




というタイトルが
頭に浮かんできました



沢尻エリカちゃんのやつ…







本当に1リットルくらい

涙でたんじゃないかと思って。




、、、、、、





そしたらね、



明らかに、


今泣いてる私とは違う


感覚が湧いてきて…
   





つづく♡









7♡隠された負の感情

その食卓に座っていて
思い出したこと。


私はここで、いつから
笑うことをやめてしまったんだろう。


頑張って思い出してみても
ここで笑い合った記憶が
浮かんでこない。


この違和感や居心地の悪さは
何なんだろう?


って、感じみて、考えてみて、
気がついた。



具体的な内容は
私だけのことではないので
控えることとして



ざっくり言うと、


それぞれが
負の感情を隠しもっていたこと。


それをもつこと自体は
たいして問題ではないのだけれど


みんながそれを口には出さずに
ため込んでいたということ。


ここが問題だった。



フタをしてため込んでしまったつもりでも
無意識のうちに、抑えきれずエネルギー
や、愛のない視線になり変わって


そこに充満していたのだ。




不平不満や文句を言うことは、
許されない というような、暗黙の
ルールがこの家には昔からあった
ことも、原因の一部だったかもしれない。






私は、子供ながらに、その
隠された交錯する負の感情を


嫌というほど
感じ取っていた。


理由のわからない違和感は
これだったけど



子供の私にそれを
捉えることなんて出来なかった。




ただ、



『なんかこの空気、嫌だ』



とだけ、感じ続け…



家族で集まることが
だんだん嫌いになっていった。



そして、ただ理由もなく(分からず)
家族に馴染めない自分自身も


また嫌いになっていったのだ。


結果的には


私もそこに


負の感情を乗せていたことになる。






そして、それは
何年間も続くなかで


捉えようがなかったがために



言語化することも
誰かに相談することも
愚痴ることもできないまま…







高校を出て

大阪の寮に入った私は、


毎日が楽しくて楽しくて



少し前の感情なんて、
本気でどんどん忘れ去って


家族というものに、
違う色を上塗りしていった。




今が楽しければ、
過去は変えられるんだと知った。




過去も未来も、
今の私がどんな眼差しで見るか?
ただそれだけなんだと分かった。



そして 周りからは

『一人娘だから、さぞかし
可愛がられたんでしょう?』

これを何百回と言われ続けたことで



私は実家が大好き!
うちの家族は仲良しだ!


と、自分でも思い込むようになっていった。





それは決して、

嘘だった!!と、
『今は』
思っていないけれど



少なくとも、





そんな風には感じられない
自分がいた



そんな時期があった、





そこを今、まじめに

思い出しているのだ。










そして

今の私だったら、
あの頃の私の気持ち


手に取るように、全部わかる。



言葉に出来なかった気持ちも
ちゃんと言語化してあげられる。



過去の自分を救うと決意した瞬間。





私は、

学生の頃の私を再体験し始めた。



まるで憑依されたかのように
10代の頃の私に完全に戻っていった。



そしてそれは同時に


家族にも多大な迷惑をかける
という現実でもあった。


もちろん、それは分かってた。

でも、もう、やるしかなかった。











誰かとの間に生まれた感情を
クリアしたいとき。


それを相手にぶつけることが
必ずしも 最適 とは限らない。


誰に対して、生まれた感情でも


その感情を、もっているのは
自分自身。


だから、基本的には
自分の内でクリアする必要がある。




でも、今回それを選ばなかったのは



そっちのやり方は、もう散々
やってきたから。



今は、間逆を体験するときだった。



相手に『ぶつける!』

ことをやる必要があったのだ。










長い間、外に出すことが出来ず

忘れ去られていた怒り・憎しみ・悲しみが
全開で、大爆発の連続。




しかも、爆発しているのは
幼き私だけではない。



『この子の気持ちなんで
わかってあげられなかったの!?』

という

今の私の怒りも含んでいたから



それはそれは、、


とてつもなく大きな怒りの
エネルギーになっていた。







暴言は吐きまくる


物は投げる、蹴る、、


一人になっては泣いて


またブチ切れて・・・



怒って家を飛び出しては

車を5時間走らせ続け

用もない札幌に着いてしまったり…




出しはじめたら、想像以上のものが
吐きだされ続けて…




でも紛れもなく、それはすべて
私が持っていたものだった。




自分が怖かった。




そして家族は大混乱だった。




こんな私を、見たことが無いから。




衝撃を受けているようだったし
おかしくなってしまったと思われ…

母には精神科?に行って欲しいと泣かれた。



そりゃあね、こんな私は
私だって初めて見てるんだから。。


ビックリされるのも当然だった。







でもね、私は


自分の中で、
すべて自覚していたんだ。




自分を見失っていたわけ
ではなかった。




人に大迷惑をかけながら…




ちゃんと、あの頃の


怒り狂いたい

って願望が叶っただけだった。







でも…


そうは言ってもちょっとだけ
危なかったと思うこと。







この頃、本気で


死んでやろうかと思ってた。



死んでしまいたいくらい
あの頃の感情が辛かったのだ。





スピードを出しながら車を運転しているとき
ハンドルを一気にきれば 死ねるよね。


でも、対向車にぶつかるようなことは
やめとこう。

やるならやっぱ、単独事故だよね!


このまま突っ込めば、死ねるよね。


死にたい。死んでしまいたい。



そんなことを考えながら





でも結局、できなかったのは



死への怖れ というよりも


『痛み』のほうが怖かったから。



死というものは、体験したことがないから
自分でもよく、捉えられない。


でも、痛みの苦しみなら想像できるんだ。


だから、そっちのほうがリアリティは
ずっとあって。




もし、完全無痛でまったく苦しまずに


ボタンをポン!っと押すだけで
あの世に行けるシステムがあったら


絶対に、押していた。


↑こういうの、あったらなぁ
と友達とも話したことがある。





痛みって、生きるためにあるんだな
って、この頃、初めて知ったのでした。







一応、言っておくとね。


死にたい死にたいって


どんだけ酷い家だったの?
って思うかもしれないけど


傍から見たら、
普通の家庭だったと思う。。


いやむしろ、


贅沢言ってんじゃない!
って怒られるレベル。。。


暴力があったとか
親が酒乱だったとか
酷い言葉を言われ続けたとか


そういうことは、一切ないんです。





じゃあ何が問題だったかって



その瞬間ごとに


素直に気持ちを言えなかったこと。



だから感情は、
よじれて、ねじ曲がって、、





すべてはそれが、





ことを大きくしてしまっていた
だけだった。











そんな日々を過ごしながら


ギリギリ生きてた私だけど




お盆を迎えるころ


両親と兄を交えて
家族会議が行われた。





それは、それぞれが本音を話す
初めての機会となった。



そして



長い間ずっと、遺伝的に受け
継がれてきてしまっていた

『負の感情の連鎖』は


みんなが涙しながら『許す』
ことを選択することで


断ち切られたのでした。










ああ。




これをやる必要があったんだ。





今ならそう思えるけれど、


もちろん、それだけのための


爆発じゃなかった。




やっぱり、


私が生きるために


やらせてもらったこと。





あんな暴言を吐いたのに、


それを受け止め許してくれた家族には



今は愛だけを見て、感じてる。








そんな大役を果たしてくれる人は



そうそういないのだ。









そして、ついに


治療がはじまり


おさまったかのように見えた


自殺願望は



カタチを変えて



むしろ


エスカレート


してゆくのでした。







つづく














♡最新記事♡一覧
メッセージ

名前
メール
本文
  • ライブドアブログ